■ 『知的生産の技術』 文章をかくのは情報伝達行動 (2004.5.2)
言わずもがなの天下の名著である。しかし、さすがにハード面では違和感を感じるようになった。本文中で繰り返し言及される「カード」方式にしても、パソコン全盛の現代では、すでに陳腐化しているかもしれない。もっとも、ハードは日進月歩である。シート・フィルム状の液晶ディスプレイも既に試作に成功していると聞いている。近い将来には、完全に電子化された「京大型カード」の実現も夢ではないだろう。
一方、ソフト面の提言はちっとも古くはない。「情報」という切り口で、人間の知的活動をとらえているからであろう。情報というのは、知恵、思想、かんがえ、報道、叙述など、ひろく解釈していいという。知的生産というのは、頭をはたらかせて、あたらしいことがら――情報――を、ひとにわかるかたちで提出すること。文章をかくというのは、情報伝達行動である。文章の問題は、情報工学の問題としてかんがえたほうがいいのではないかと。
再読して、文章のわかりやすさに改めて感心した。例えば、自身の提案する文章法に「こざね法」というのがある。名刺サイズの小さな紙きれ(こざね)に、みじかい文章をどんどんかいてゆき、つながりのある紙きれをいっしょにならべ、端をかさねてホッチキスでとめる。こうして一つの思想/文章をまとめる方法である。これをこう説明する。
「こざね法というのは、いわば、頭のなかのうごきを、紙きれのかたちで、そとにとりだしたものだということができる。それはちょうど、ソロバンのようなものである。ソロバンによる計算法は、けっきょくは暗算なのだが、頭のなかのうごきを、頭のそとでシミュレートしてみせるのが、ソロバンの玉である。こざね法は思想のソロバン術で、一枚一枚のこざねは、ソロバン玉にあたる」
実にわかりやすい、具体的イメージがすぐ浮かんでくる文章ではないか。
◆『知的生産の技術』 梅棹忠夫著、岩波新書、1969/7 第1刷 (2001/3 第70刷)
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