■ 『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』 (2001.8.13)
本書のコンセプトは、「フェルメールを難解な批評言語から取り戻す」、とある。実に内容の濃い本である。幅広い資料の渉猟、綿密な考証、簡素ではあるが緻密な記述。贋作事件のてんまつを解明するくだりはまるで推理小説を思わせる。そして、フェルメールの仕事を正面から見据え、権威に頼ることなく、自らの目で様式の特性を把握し、作品を多角的に見なければならないことを教えてくれる。第10回吉田秀和賞(2000年11月)を受賞している。
フェルメール(Vermeer)は、オランダを代表する画家としてあまりにも有名。現存する作品は全部でわずか30数点とも言われている。《牛乳を注ぐ女》など、光から影への微妙なバランス、静謐な雰囲気が忘れられない。フェルメールを巡る美術史家の態度は第二次世界大戦後に起きた史上最悪と言われる贋作事件の以降、まったく変質したという。
贋作事件とはこうである。戦中にナチスが世界の名画を集めまくっていたのは有名な話。きっかけは、第二次大戦終了直後の1945年、アメリカ人大尉がフェルメールの署名のある絵画《キリストと悔恨の女》をナチの元帥ゲーリングの妻の居城で発見したことである。この絵がどのようなルートでゲーリングの手に入ったのか調査した結果、画家ファン・メーヘレンが浮かび上がる。
メーヘレンの自白は専門家の度肝を抜くような内容だった。《キリストと悔恨の女》はフェルメールの真作ではなく自分が描いた贋作であると。そればかりではない、権威ある美術史家が「フェルメールの真作」と太鼓判を押し、前例のない高値でオランダの美術館に購入されたかの有名な《エマオのキリスト》のほか、多くの「フェルメール作品」の作者である、と言うのだ。
贋作が横行した背景には、権威信奉や新発見作品をめぐる先陣争いがあった。戦時という非常事態もあったろう。さらに著者は、贋作を許す環境の一端が、フェルメールを愛し称賛する者の言葉自体のなかに潜んでいた、と言う。メーヘレン事件が美術史家に与えた教訓のなかで最も大きかったのは、フェルメールを語る言葉をより具体性のあるものに変えねばならないと痛感させたことだった。
贋作事件以後、フェルメールの研究書から、レトリックを駆使した、謎解きのような、呪文のような難解な批評言語が徐々に消えていった。いわゆる「フェルメール神話」から紡ぎ出されるレトリック満載の賛辞が冷静な判断を失わせ、やがてはファン・メーヘレン事件につながっていったとの認識に立ち、醒めた平明な文体で17世紀オランダ美術を語るようになった。
◆『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』 小林頼子著、NHKブックス、1999/10
◆小林頼子 (こばやし・よりこ) 1948年生まれ。1982〜85年(オランダ)ユトレヒト大学美術史研究所留学。87年慶應義塾大学大学院博士課程修了。現在、慶応義塾大学他講師。著書『名画への旅』13・14巻(講談社)『フェルメール論〜神話解体の試み』(八坂書房)
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