■ 吉田秀和の訃報を聞いた (2012.5.27)

吉田秀和の訃報を聞いた。98歳とのことだ。新聞の訃報記事は、例によってありきたりであるが。吉田秀和の大きな功績のひとつは、日本の音楽の聴衆を育てたこと、といっても過言ではないだろう。個人的に振り返っても、吉田秀和に教えられたことはたくさんある。かつては、トスカニーニだフルトヴェングラーだと口角泡を飛ばしていた時代に、音楽にどういう聞きかたの楽しみがあるのか教えてくれた。ただ良い演奏や悪い演奏、と断ずるのではなく、いい演奏とは具体的にはどんなことを指し示しているのかを。
そしてCDを聞くのと、実際に演奏会場に出向いて聞く演奏とはどこが違うのか。グレン・グールドの《ゴルトベルク変奏曲》の演奏の素晴らしさ、等々。

雑誌『レコード芸術』には「之を楽しむ者に如かず」をつい先月まで連載していたが、筆力は晩年まで衰えることがなかった。音楽の楽しみに加えて、文章のスタイルが魅力的であった。何度でも読み返したくなるような味がわき出てくる。音楽的とでもいうのか、ちょうど読み手の呼吸のリズムにぴったり合うのである。
それにやっぱりNHK-FMでずっと放送されてきた「音楽の楽しみ」を評価しなければならないと思う。かなりの放送をカセットに録音しているが、これを聞き直しながら吉田秀和への感謝を伝えたいと思う。


■以下は朝日新聞(2012.5.27)の記事
音楽評論家の吉田秀和さん死去 98歳。日本で初めて本格的なクラシック音楽批評の方法を確立した音楽評論家で、文化勲章受章者の吉田秀和(よしだ・ひでかず)さんが、22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。98歳だった。葬儀は親族で営まれた。後日、お別れ会を開く予定。喪主は長女清水眞佐子さん。◆1971年から本紙の「音楽展望」の執筆を続け、音楽愛好家の共感を集めてきた。◆東京都生まれ。東京大仏文科卒業後、音楽雑誌に連載した「モーツァルト」で評論活動を開始。美術、演劇、文学など幅広い知識に裏打ちされた魅力的な表現で支持を得、日本の音楽界に多大な影響力を持った。◆実践家としても48年、井口基成、斎藤秀雄とともに、桐朋学園大音楽学部の母体となった「子供のための音楽教室」を創設、戦後の音楽の早期教育に指導的役割を果たした。◆90年に開館した水戸芸術館の初代館長に就任。音楽、美術、演劇が有機的に一体化したユニークな複合文化施設のかじ取り役も務めてきた。芸術評論全般を対象とした「吉田秀和賞」も創設された。「二十世紀の音楽」「私の好きな曲」など著書多数。91年朝日賞、96年文化功労者、06年文化勲章。


■ 『たとえ世界が不条理だったとしても 』 吉田秀和、絶筆の予感がする (2005.12.24)




吉田秀和
は相撲の熱心なファンだったはずだ。たしか、柏戸――立ち会いから一気の豪快な寄りが魅力だった――がごひいきだったのでは。それが、もう相撲に夢中だったのは昔のことで、今は場所が始まっても何ということもないという。

あとがきでは、こうも言っている。「新しい世紀にはいって3年目の11月、妻が死にました。気がついてみたら、ものを書く気力がまるでなくなっていました」と。「また書きだしてみると……、でも、これは長続きしませんでした、やっぱり」。本書は、白水社から出した全集以後のすべてを納めた唯一の本だそうだ。なにか絶筆の予感がする。

吉田秀和に教えられたことはたくさんあった。音楽にどういう聞きかたの楽しみがあるのか。ただ良い演奏や悪い演奏、と断ずるのではなく、いい演奏とは具体的にはどんなことを指し示しているのか。CDを聞くのと、実際に演奏会場に出向いて聞く演奏とはどこが違うのか。グレン・グールドの《ゴルトベルク変奏曲》の演奏の素晴らしさ、等々。

それに何より、いくど読んでも、また読みたくなるような魅力にあふれた文章のスタイルだ。ちょうど読み手の呼吸に合ったリズムの良さが第一か。なにげないイントロから始まって、いつの間にか音楽が核心として展開される。自在な語り口でもある。ああでもない、こういう考えもまたあるという、行ったり来たりがまた楽しい構成である。さすがに近年は、ちょっとセンチメンタルな気分が増えてきたような様子ではある。

本書に収められた、エッセイのひとつ「歩き方は語る」。花道から土俵に向かって歩く力士の動きから触発されてオーケストラの演奏に及ぶくだりなど予想外の展開である。そして、なるほどとうなずかせる。
相撲取りの足の運びが、昔とずいぶん変わっているのに気づいたという。かつては両足を斜めに外側に向けて、ずしりずしりと歩いていたものだ。今の力士は、足を伸ばしすたすたと真っ直ぐに進む。力士に限らず日本人の歩き方は欧米人とずいぶん違うという。

欧米人は、両足の運びが画一的で、速くなったり遅くなったりのブレがない。日本人のは散歩型か。全体にゆったりして、その中で速くなったり遅くなったり、いろいろ変化する。日本のオーケストラの楽員たちがステージを出入りする歩き方は、散歩型のゆったりした動作であると。こういう動きと、これから演奏しようする西洋音楽とは隙間があるという。こういう動きに慣れた身体から出る音は、そこに躍動感やダイナミズムが失われやすいと。


◆『たとえ世界が不条理だったとしても 新・音楽展望2000-2004』 吉田秀和著、朝日新聞社刊、2005/11


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