■ 『文書鑑定人 事件ファイル』 日本人はサインを持っていない

著者は、もと警視庁 科学検査所 管理官 文書鑑定科長。金賢姫事件での偽造パスポートの鑑定経験もある。

文書鑑定人は裁判官の補助者の立場にあり、文書が偽造や改ざんされたものかを鑑別する。筆跡、印章、印字、印刷物、複製文書、不明文字の鑑定など。どうしても犯罪との関わりが強い。本書の副題も「事件ファイル」である。

あの手この手の偽造の数々、それをうち破るために、鑑定には最新技術が導入されている。印字鑑定は、かつてはタイプライター印字が主役であった。最近では、ワードプロセッサやコンピュータの文字が主役となった。文字の異同識別ばかりでなく、ワードプロセッサのメーカーはどこかなども鑑定の対象となる。偽造文書の鑑定では、放射線技術(オートラジオグラフィー)も使われる。例えば、文字のインキと塗りつぶしに使ったインキとの放射能の減衰の差を利用するのである。

興味深い話が続く。
日本人はサインを持っていない」と言う。個人の証明になっていないのである。住所や氏名を分かりやすく書いた、伝達が目的の筆跡がサイン扱いされているのだ。欧米人は、サインは自分を証明する手段と考えているから、他人にまねをされないように、そしていつも同じようにサインをする。それが他人に読めないものでも良いのである。日本人の場合も読みやすい文字で氏名を書いた後にサインをすれば良い、と提案する。

また、われわれが日常生活で信じ切っている常識の世界にも落とし穴はある。
例えば、カラーコピーでは印影の決定的な鑑定はできないのである。カラーコピーは一見、本物の文書と同じように見えるが、実は、網目印刷と同様で、画像は黄・紅・藍・黒のトナーが重なり合ってできている。カラーコピーの印影は赤と黄色の微細な点が集まってできているに過ぎない。印影文字が線のように見えても、顕微鏡で拡大すれば、点の集合が明らかになる。

偽物造りの技術が最高に発揮されるのは、贋札のようである。かつての帝国陸軍の贋札作戦、中華民国の十元法幣を造る、というのがある。昭和14年から終戦までに陸軍が偽造したニセ札は40億元とも45億元ともいわれる。約25億元が買い付けに使われたという。

写真複写を利用した腐食製版によったという。まず紙幣の正確な写真をとり、それを畳一畳ぐらいの印画紙に引き伸ばす。それを台の上におき、もとの紙幣をルーペで拡大して見ながら、耐水インクで克明になぞる。やっと終わったところで、還元液につける。すると写真は消えて、描いたものだけが残る。こうしてでき上がった原図を再び写真にとり、今度はもとの大きさにまで縮小する。細かい繊維を漉き込んだうえに透かしを入れた紙に印刷する。

ナチス・ドイツの英ポンド紙幣偽造作戦は、約900万枚、1億5千万ポンドのニセ札を印刷し、ヨーロッパ各国で物資の買い付けを実行したことで有名である。


◆『文書鑑定人 事件ファイル』 吉田公一著、新潮社、OH!文庫、2001/8


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