■ 『私の東京町歩き』 阿佐ヶ谷を歩くと…… (2002.5.25)
昭和30年代、阿佐ヶ谷は文士の住む町として名が知られていた。松本清張の『点と線』は阿佐ヶ谷が舞台である。川俣三郎は阿佐ヶ谷に思い入れの深い評論家。
中央線で新宿から5つめ、阿佐谷の町は東京のありふれた町の一つ。これといった特徴がない。東京の西の下町だという。
そしてまだテレビが家庭に普及していなかったときの熱狂をつづる。
昭和33年、若乃花が初優勝したときは、商店街も住宅街も一体となって興奮した。まだテレビが普及していなかったころだから、”香蘭”という気のいいおじさんのやっているラーメン屋にテレビがあるのを知って、連日、そこに入りびたり若乃花を応援した。千秋楽の日、蔵前から阿佐谷まで若乃花は青梅街道をパレードした。
この”香蘭”には覚えがある。隣は日本そば屋ではなかったか。本書には阿佐ヶ谷のほかに、大久保、蒲田、佃島、人形町、門前中町などが描かれている。歩いたのは80年代の後半、ちょうどバブル経済のさなかだという。すでに21世紀の今日からはもう20年近くも経っている。阿佐ヶ谷の変遷も激しい。オデヲン座が閉館したのは1987年(昭和62年)とのこと。中杉通りのケヤキも大きく成長し5月には新緑がまぶしい。
本書では、「阿佐谷」と表記しているのだが、やはり「阿佐ヶ谷」と書いて欲しいものだ。
◆『私の東京町歩き』川本三郎、1998/3、ちくま文庫
◆川本三郎 (かわもと・さぶろう) 1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒。評論家(映画・文学・都市)。『大正幻影』でサントリー学芸賞受賞。著書
『今ひとたびの戦後日本映画』『君美しく』『荷風と東京』(読売文学賞受賞)
・川本三郎の映画の本 → 『ロードショーが150円だった頃』
・阿佐ヶ谷風景は → こちら
このミステリーで、地名として「阿佐ヶ谷」が出てくるのは2カ所。ひとつは、情死体の男が持っていた、阿佐ヶ谷―東京間の定期券。もう一カ所は、犯人が阿佐ヶ谷に女中2人を置いて住んでいたとする記述である。
◆『点と線』 松本清張、新潮文庫、昭和46年5月。単行本は、光文社で昭和33年2月の刊行。
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