――2011.10.5  スティーブ・ジョブズの訃報 ――

スティーブ・ジョブズの死が各紙で報じられた。ソフトバンクの孫正義氏は「スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。レオナルド・ダ・ヴィンチと並び称される」とコメントしている。確かにスティーブ・ジョブズの果たした役割は、コンピューターの歴史を変えるような大きなものだったのは間違いない。

スティーブ・ジョブズが、かつてゼロックスのPARC研究所を訪れて、パソコンを簡単に動かすためのアイデア――マウスとか直感的な画面操作法(GUI)――をつかんだのは有名なエピソードである。
やがてこのアイデアはAppleの製品へと結実する。
ジョブズはPARCを技術的には先進者として認めてはいたものの、マネジメント面からは反面教師としてとらえ、経営者としてアップルを率いてきたのだろう。
彼の言うとおり、アップルは、株式時価総額で世界最大の電機IT企業になったのだから。 (2012.1.28)


■『未来をつくった人々』 ゼロックス PARC研究所は魔法だった (2002.1.14)


アップル・コンピュータの創業者(現CEO) スティーブ・ジョブズの言。「ゼロックスは今日のコンピュータ産業を丸ごと手に入れることができた。会社の規模は、そう、十倍にもなっただろう。IBMになることが――90年代のIBMになることができた。90年代のマイクロソフトになることもできたのだ」。

ゼロックスのパロアルト研究所 (PARC)は、今日のパソコン技術――ウインドウズにしてもマッキントッシュにしても、すべての源流である。現代のパーソナル・コンピューティングを支える技術のほとんどを発明している。マウスを使ってアイコンをクリックしたり、ウィンドウを開くこと――いわゆるGUI (グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)技術。そしてワードプロセッサで文章を書いたり、プリントアウトの文字の大小を変えたり。インターネット(イーサーネット)も、電子メールも。レーザープリンタもPARCの発明である。PARCの技術がパソコンの世界にいったいどれほど浸透しているのだろうか。

しかし、ゼロックスはPARCの技術によって市場を占拠し巨利を得ることはなかった。ゼロックスの世紀の大失敗とも言われる。PARCの技術成果をゼロックスが無視し、他の企業がそこから数十億ドルを稼ぎ出したのである。PARCの技術が持つ潜在価値を最後まで認識できなかったゼロックスが、新しいマーケットの入り口で立ちすくんでいるうちに、ライバルたち――IBM、マイクロソフト、アップルなどが素早い動きをしたのである。

なぜゼロックスはPARCの生み出した技術を完全には活用できなかったのか。
著者の言うには、ひとつは、パソコンのような多様な性質を持つ産業を、そもそも一企業がコントロールできないというものだ。実際、パーソナル・コンピュータの技術が商業的成功を収めるかどうかは、気まぐれなものだという。例えば、1981年に発売されたIBM・PCは、ほぼ瞬時にスタンダードとなった。だが今日現在で、IBMのパソコンのシェアは微々たるものである。かつての勢いは失われている。

また、ゼロックスの企業規模とマーケティング能力さえあれば、インターネットそのほか何ダースもの孤児と化した発明を商品化できたはずだという見解がある。しかし、アップルはその小ささにもかかわらずマッキントッシュを発売できたのではなく、小さいからこそできたのである。

さらにこの時期、ゼロックスには大きな重荷があった。日本の競合企業は全力をあげて1975年にはローコスト機を実現していた。ゼロックスが、ようやく対抗製品を発売したのは4年後である。

本書はPARCの誕生から、数々の輝かしい技術の生まれた過程を細密な取材によって書き込んでいる。締めくくりの言葉――PARCがかつてその並はずれた初期の数年(1970年代)に保持していたほどのクォリティ、あれはおそらくは永遠に、魔法だったのだ。


◆『未来をつくった人々 ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明』
マイケル・ヒルツィック著、鴨澤眞夫訳、毎日コミュニケーションズ、2001/10



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