■ 『俳諧 武玉川』の世界 (2001.2.7)
武玉川は、「むたまがわ」と読みます。今でも岩波文庫では現役で入手できるようです。小学館の大百科全書によれば次の通りです。
江戸中期の俳諧書。紀逸編。初編1750年(寛延3)刊〜10編56年(宝暦6)刊。
書名は、古歌で著名な六つの玉川のうち、武蔵の玉川を意味し、江戸座俳諧の高点付句を抜粋した新企画の本書が、玉川上水のごとく、江戸万人の口を広く潤すようにという意図を込めたもの。
五・七・五形式の付句のほかに「恋しい時は猫を抱き上げ」などという七・七形式の付句を含み、余情あふれた佳句が多い。
ついでに「俳諧」を引くと。
俳優の諧謔、すなわち滑稽の意。『古今和歌集』巻第19に「誹諧歌」として収める58首の和歌は、ことごとく内容の滑稽な歌である。連歌の一体である「俳諧之連歌」は、滑稽な連歌の意で、連歌師の余技として言い捨てられていたが、純正連歌の従属的地位を脱し、詩文芸の一ジャンルとして独立するに伴い、「俳諧」とだけ略称されるに至った。
17世紀に入ると、松永貞徳を盟主とする貞門の俳諧が全国的規模で行われた。俳風はことば遊びの滑稽を主としたが、より新鮮で、より強烈な滑稽感の表出をねらう、西山宗因らの談林俳諧に圧倒された。
1690年代(元禄期)以降は、芭蕉らの蕉風俳諧にみられるような、優美で主情的な俳風が行われた。
岩波書店のPR雑誌『図書』には田辺聖子の、「武玉川・とくとく清水」が連載されている。2001/2月号では既に9回を数えている。今まで残念ながら読み過ごしていて気付きませんでした。毎回、武玉川から何首かを取り上げ、ユーモアあふれる解説文を附している。今9回はアダルト専科っぽいのから。
女房がなくて屏風もなかりけり
畳んだ物の見えぬ独り身 ……「ひとり者」は川柳でも好個のなぶり相手
屏風も人をけしかけるもの ……屏風は閨房の重要な道具だとの心持ちを仄めかしてゐると思ふ
まじめになるが人のおとろえ ……人生の有為転変のたたずまいの面白さに感じ入っている風情がある、とのこと
みどり子の欠伸(あくび)の口の美しき ……まさにぴったり
◆「『武玉川』を楽しむ」神田忙人(かんだ・ぼうじん)著、朝日選書、1987/9
日にやけた娘を誉める宇治の春
様ざまな人が通つて日が暮れる
二度までハたてかけて見る銅盥
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