■ 『かなり気がかりな日本語』 ぼかし言葉は何とかならないか?(2004.3.7)

「ちかごろの若者は……」と言うようになったら、もう老化現象だろう。本書は、例によって、大学生やアルバイト店員の珍妙な言葉づかいを、やり玉に挙げた老学者の著作では?と、読み始めたのだが。著者は、これらの言語表現を、面白おかしく話題にするだけでなく社会現象として分析しようと努力しているようである。

大学生で使役形は嫌われるそうだ。「読ませる」ではなく「読んでもらう」。学生達は遠慮がちにものを言い、まわりに気をつかう。まわりに対しても、同じようにふるまってほしいと望んでいる。よく言えば優しく、悪く言えばひよわだと。

助数詞は消えていく。数字だけを言う若者が増えている。すでに豆腐は1丁ではなく1個である。スーパーや、コンビニでは買いたいものをレジに持って行くだけで、無言で買い物ができる。利便性とひきかえに、大人たちは子どもに言葉を覚えさる機会の一つを放棄したのだという。

随所にぼかしを入れる言い方。「間違い電話が多くなっておりますので、ご注意いただきたいと思います」、これは「間違い電話をかけるな」というメッセージを、二重三重にオブラートでくるんでいる。居丈高だという聴取者の苦情や誤解や摩擦を避けようと気をまわして、敬意表現の厚化粧をしているのだろうか。これだけ丁寧に言っておけば文句はでるまいと。

著者は、日本語を知らない大学生、コミュニケーションのできない若者がいるということは、親・教師・地域の人々・メディア等々、いわば日本社会の構成員が、日本語とコミュニケーションのあるべき姿を教えてやらなかったということだと言う。「いまどきの大学生」を取り巻く日本語の環境は、ほかならぬ「いまどきの大人」たちが作ってきた。若者は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきたと。

◆ 『かなり気がかりな日本語』 野口恵子著、集英社新書、2004/1
◆野口恵子 1952年生まれ。日本語・フランス語教師。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。90年より、文教大学、東京富士大学、東京農工大学で教鞭をとる。


■ 『犬は「びよ」と鳴いていた』 推理小説の面白さ (2002.11.19)

擬音語というのは、「ほうほけきょー」「がたがた」などの物音や声を写しとった言葉。擬態語は、「べったり」「きらきら」などの様子や状態を写しとったもの。三島由紀夫は、擬音語・擬態語が大嫌いで、品のない言葉だといって自分の作品の中では使わなかったとのこと。昔、犬は「びよ」と鳴いていたそうだ。本当だろうか? 何故なんだろうと読み進めたくなる。言葉のルーツをたどること、本書には推理小説の犯人探しにも似た面白さがある。

江戸時代まで日本人は犬の声を、「びよ」と聞いていたという。平安時代の『大鏡』には犬の声は「ひよ」と書いてある。昔は濁音と清音をきちんと区別して表記しないから。当時の実際の発音を再現するとしたら、「びよ」になる。江戸時代も中頃をすぎると、「わん」が、犬のごく普通の吠え声として使われている。「わん」の勢力が次第に圧倒的になり、「びよ」の声は方言としてのみ残った。

犬の吠え声が、「びよ」から、なぜ「わん」に変わったのか。著者は、言葉の推移は、犬自体の吠え声の変化を写し出していると推測する。「びよ」と写すよりも、「わん」と写すほうが適切と思えるような変化が、犬の鳴き声そのものの方に起こったのだ。環境の変化による犬の鳴き声自体の方に、質的変化があった

たとえば、江戸時代以前では、野犬が横行し、人間の死肉を食べたりしている。総じて江戸時代以後の落ち着いた環境で飼われる犬のよりも、野性味をおびていた。そうした時の犬の声は、闘争的で濁ってドスの効いた吠え声であったと想像される。「わん」と写すより、「びよ」と濁音で写すのがより適切と思われるような声であったと。


◆『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』 山口仲美著、光文社新書、2002/8
山口仲美 (やまぐち・なかみ) 1943年生まれ。埼玉大学教養学部教授。文学博士。お茶の水女子大学文教育学部国語国文学科卒。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。著書に『ちんちん千鳥の鳴く声は』(大修館書店)ほか


■ 「日本語を考える本」を読んだ (2002.03.02)

不況になると「日本人論」が読まれる、とどこかで聞いたような覚えがあるのだが。いま日本はデフレスパイラルを急降下している最中。この閉塞感が何とかならないかと思う。こんなとき手軽に安心して読めるのは、やはり定評のある金田一春彦先生の日本語の本だ。もう1冊、井上ひさしの作文教室も。

● 『ホンモノの日本語を話していますか?』 金田一春彦


読み初めからして安心できる。「日本人は語学の天才である」なんて言われると少しは自信も湧くのではないだろうか。

日本語は非常に複雑な言語であるという。方言の違いが大きいというのだ。例えば、九州出身者が郷里の弟と電話で話すときと、東京の友人と話すときは言い方を変える。ヨーロッパではスウェーデン語とノルウェー語の違いは、関東弁と名古屋弁ぐらいの違いしかないらしい。ところが日本人は、方言と標準語の複雑な言い方をを自然に使い分ける。天才である所以だ。

日本語は発音の単位が非常に少ない。ほぼ112しかないとのこと。「いぬ」は「い」と「ぬ」からできている。一方、英語の方は音の単位が3万はある。発音の単位が少ないということから、日本の国語教育は非常にうまくいっている。だから、日本には文字が全く書けないという人はほとんどいないという。

日本語は、コンピュータに最適な言語だそうだ。発音の単位が少ないとことから、いわゆる音声認識が容易になる。機械の前で人がしゃべると、ちゃんと機械が読みとって書いてくれるというわけだ。さらに、金田一先生は日本語の文法で本当に良いと思うのは、数の数え方であると言っている。理由は……。


● 『日本語を反省してみませんか』 金田一春彦

こちらは日本語の文化的な背景あるいは約束事をまとめた本として読める。日本人がもともとは農耕民族であるという観点から日本語の特質を探り出している。例えばこんなことである。

・日本人は他動詞より自動詞を好む。お風呂の準備を終えると、「お湯が沸きました」と言う。相手に恩着せがましい言い方は避けるのである。自然現象では、自動詞で表現すべきところを、他動詞をつかう。「夜が明ける」、 「波が寄せる」 「潮が引く」など。大自然にも意志があるように日本人は感じたのだ。
日本人は「言いわけをしてから歩く」、あるいは「ことわってから歩く」。例えば、「取り急ぎ、まとめましたので、十分な検討が加えてありませんが……」とか「突然のご指名で何をお話してよいやらわかりませんが……」等々。いきなり、ズバリ本音とはいかない。



● 『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』 井上ひさし

1時間目の授業からポイントを抜き出してみよう。やさしい言葉ですが、いざ実践しようとすると難しいですね。

・作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね。
・書いたから終わったわけではない。読み手の胸に届いたときに、自分の書いた文章は目的を達成し、そこで文章は終わるわけです。
・「いきなり核心から入る」ことが大事なんです。
◆『ホンモノの日本語を話していますか?』 金田一春彦著、角川Oneテーマ21新書、2001/4
◆『日本語を反省してみませんか』 金田一春彦著、角川Oneテーマ21新書、2002/1
◆『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』 井上ひさし著、新潮文庫、2002/1



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