■ 『日本語は進化する』日本語はあいまいではない (2002.8.4)
本書には日本語の新しい知見がある。日本語は「あいまい」ではない、きわめて明晰な意味を表現することができる。そして発想のプロセスは発見的であるとする見解は、新鮮である。
日本語は、万葉の昔から絶えず翻訳によって培われ、翻訳によって変形され、翻訳の言語と不可分のものとして存在してきた。本質的に翻訳語として発達してきたという。明治にはいると、西洋語の翻訳を介して、次第に細密でしなやかな可逆性を獲得するようになる。言文一致運動を経過して、日本語は、話すときにも書くときにもたった一つのスタイルで押しとおすことができるように収斂した。
新しい表現のスタイルは、明治30年代を過ぎてそれなりに定着する。この時期のベストセラー夏目漱石の『吾輩は猫である』に、明らかに見てとれるという。
・主語が多く使われるようになったこと
・無生物の抽象名詞が主語として登場
・名詞構文的な考え方が強くなってきたこと
・単数・複数や、比較級・最上級の用法が日常化 等々
日本語は膠着語の構造をもつ。概念本体の部分を「自立語」、テニヲハの部分を「付属語」とし、前者を「詞」、後者を「辞」と呼べば、日本語は「詞―辞」構造をもっているとも。この構造が、日本語の翻訳語として発達を助けたという。「詞―辞」構造とテニヲハの鋳型は、優れた翻訳装置となる。テニヲハさえ整っていれば、それらしい日本語となり、「詞」の部分に入った言葉が実際には一知半解のものであったとしても、いつのまにか分かったような気がしてしまうのだから。
著者は言う、日本語は「あいまい」ではないと。テニヲハのおかげで、日本語はきわめて明晰な意味を表現することができる。本来のテニヲハ(格助詞)にさらに後置詞をつけて、例えば、「によって」「において」といったぐあいに後置詞で厳密に区別することもできる。これまで得意としてきた感覚的・感情的な表現から、日本語は分析的で厳密な表現にいたるまで、見事にこなせるほどの進化をとげているという。
日本語の論理のプロセスは、宛名書きのように、大きなカテゴリーから次第に小さなものへと絞りこんでいくスタイルである。こうした日本語の発想は、「探索的」かつ「発見的」なものとなる。初めは漠然としていたものが、次第に明らかになっていくプロセスを正確にたどっているからだ。当初は何もないところで、にわかに一つの意味が姿をとり始める。それを「〜は」という表現により、かなり大ざっぱな一領域として設定する。広範な領野から次第に絞りこまれていく以上、「帰納的」であるとも。
日本語は、探索し、帰納し、協調して、不確かなものから徐々に結論を創造してゆく論理である。日本語の論理の方が、西洋語に比べ、はるかに「発見的」であり「創造的」なのだと。西洋語の論理は、規定的、演繹的、対立的であり、あらかじめ決着のついたことがらを戦わせるには好都合だが。
◆『日本語は進化する――情意表現から論理表現へ』 加賀野井秀一著、NHKブックス、2002/5
◆加賀野井秀一 (かがのい・しゅういち) 1950年、高知市生まれ。中央大学文学部仏文科卒業。同大学大学院修士課程修了後、パリ大学大学院で学ぶ。専攻は、フランス文学、現代思想、言語学。現在、中央大学理工学部教授。
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