■ 探検的なやり方 『南極越冬記』 (西堀栄三郎著) (2001.8.4)


西堀栄三郎の名前は、南極とかマナスルとかに重なるもののおぼろである。『科学書乱読術』(名和小太郎著)で『南極越冬記』の紹介を読んで西堀栄三郎を再認識した。この本で引用されている、仏文学者・桑原武夫の語る西堀のエピソードが印象的である。

あるとき、桑原は西堀にちょっとした質問をする。西堀は手元にあった本の余白を破り、そこにグラフを書いて桑原に手渡す。その本は当日丸善から購入してきたばかりの豪華本であった。本好きの桑原は「私の読書史の一転回点になった」と述懐している。



西堀は南極越冬隊の隊長をつとめるが(1957年)、翌年の交代のための本観測隊は海氷に阻まれ、要員交代のできないまま基地は閉鎖される結果となる。西堀は第一に作戦のミスを指摘する。(『南極越冬記』が実は梅棹忠夫がゴーストライターであったとのこと)。

探検的なやり方というものはまず最悪の場合を考えて、その準備をし、その上にうまくいったときの準備を次第につみ重ねていくという、漸進主義を必ずとらなければならないものである。そうしなかった結果は、最上の条件だけをあてにするという、大へんな冒険をおかすことなったのだ。

エンジニアとしても忘れることはできない。西堀栄三郎は、日本の統計的品質管理の草分けである。デミング賞を受賞している。日本製造業の成功の鍵とも言われる「QCサークル」は、松下通信工業で指導していた西堀流品質管理とでもいうべき「信頼による品質管理」が組織化されて全国に広がったものである。

物事というのは放っておくと下がろうとする。これを下がらないようにするのが「標準化」であり、狭い意味での「品質管理」にあたる。成績を上げるためには今までと違うことをしなければならない。それが「作業標準書の書き換え」で、いわゆる「改善」とか「開発」と呼ばれるものである。

統計的手法の第一歩はグラフに表すこと。不良の原因が常にひとつであると考えないこと。

そもそも技術というものは、トライ・アンド・エラーでやるべきもので、やってみて駄目だったらそこを直していくというように、「禍い転じて福となす」という楽観的な態度と、失敗をものともしない強い気構えと、さらには燃えるような探求心がないことにはできるものではない。

登山家・探検家としても有名。南極越冬隊長や1980年のチョモランマ登山隊総隊長などをつとめている。「どうしたら人は活かせるか」という観点で味わいのある言葉を残している。

「目的」と「手段」を区別して考えること。仕事の目的は責任者である隊長が与えるが、手段については各自に任せる。組織の目的と方針のさしつかえのない範囲で、手段と方法を各自に委ねるという方法でなければならない。

「これか、あれか」というような場合には、「これも、あれも」採ることにしている。二者を採ればその間に競争原理が働き、その競争原理を利用すれば力が倍になって成功への確率が高くなる。

「任せる」ということと「放任」ということは、まったく違う性質のものだ。チームへの強い関心をもっていればフォロアーの主体性を奪わないでリーダーとしてやれることがもっとたくさんある、いつも陰ながらよく見ていれば事が起こる前にそれが察知でき、パッと手が打てるようになれる。

切迫感だけでは「創造性」は生まれない。知識が必要なのである。細分化したニーズを忘れないために繰り返し繰り返し頭に思い浮かべ、寝ても覚めても忘れないことである。


◆『科学書乱読術』 名和小太郎著、朝日選書、1998/4
◆『南極越冬記』 西堀栄三郎著、岩波新書、1958/7


◆『創造力 自然と技術の視点から』 西堀榮三郎著、講談社、1990/7

西堀榮三郎 (にしぼり・えいざぶろう) 1903年京都市に生まれる。京都大学理学部卒業。理学博士。京都大学理学部講師、助教授を経て、1936年東京電気(東芝)に入社。1949年退社して統計的品質管理の普及に努める。デミング賞受賞。1957年第一次南極越冬隊長として越冬、翌年帰国。その後日本原子力研究所および日本原子力船開発事業団の理事を歴任。他に日本規格協会顧問、日本生産性本部理事、日本工業振興協会会長など。登山家・探検家でもあり、日本山岳会会長。1973年京都大学学士山岳会ヤルン・カン遠征隊隊長。1980年チョモランマ登山隊総隊長。1989年4月死去。
◆「雪山賛歌」の作詞者でもある!



◆この『創造力』は、2008/1月に朝日文庫『技士道十五ヶ条』として、改題・再編集され刊行されている。


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