■ 『日本レコード文化史』 既に「レコード」は死語か (2006.11.20)

本書は、日本の”レコード百年”に当たる昭和54年(1979)に東京書籍から刊行されたものを元にしている。原書は2冊分を超える大部だったようでようであるが、今回の現代文庫化では1冊。29ページにわたる年表が添付されている。

明治12年(1879) 東京商法会議所でフォノグラフ公開とある。スズはくを円胴に貼り付け、手で回転して記録する方式の蓄音機。既に2年前エジソンによって蓄音機は発明されていたが、東京大学で機械工学を教えていたイギリス人のユーイングが、新聞で報道されたエジソンの原理によって自ら製作したものだという。本書では、このフォノグラフ公開年を日本レコード史の原点としている。

その後、蓄音機のハードは、円筒に塗った蝋に記録する方式から、さらに円盤方式へと進化する。この辺は本書では触れていないが、例えばクルト・リースの『レコードの文化史』(音楽之友社1969刊)に詳しい。1887年ベルリーナは、蝋引き亜鉛円板に音響振動を記録する方式――平円盤レコード式蓄音機(グラモフォン)――を発明した。エジソン式では音波の振動をレコード面に垂直に刻むのであるが、ベルリーナこれを水平に刻むように変えた。

さらにベルリーナは、平円盤レコードを複製することを考案する。原盤から鋳型をとり、鋳型から随意の数だけレコードをプレスする方式。現代のソフト主導時代には欠かせない、大量複製技術の萌芽だ。時代は、平円盤レコードが円筒レコードを少しずつ、確実に押しのけていくようになる。この平円盤が日本に登場したのは、天賞堂が輸入した明治36年(1903)のこと。このとき、「レコード」ということばが初めて現れたようである。米語のフォノレコードによったのだという。

ソフトの時代が始まったかに思えるのは「カチューシャの歌」の大ヒットからか。大正3年(1914)、芸術座の「復活」が上演され、松井須磨子の歌う「カチューシャ可愛や別れのつらさ」が日本全国を席巻する。2万枚ほど売れて、メーカーの経営悪化を救ったといわれている。

この時の、芸術座のPR作戦は、行くさきざきで初日の前に文芸講演会を開き演劇論を説くかたわら、レコードによって観客を洗脳し、観客のあこがれを煽り立てたことである。興業はいつも大入りとなる。松井須磨子が日本一の大スターになったのは、レコードの力だといっても過言ではない。レコードの新しい効用が明らかになった。スターが生まれるということ。もう一つは流行歌ができるということ。

時代はかわって、LP盤の日本初登場は1951年(昭和26年)。CDの発売(1982)からは既に四半世紀が過ぎているわけだ。iPodの登場は平成13年(2001)。今やインターネットによる音楽配信が主役になろうとしている。「レコード」ということばは既に実態を失いつつあるようだ。

◆『日本レコード文化史』 倉田喜弘著、岩波現代文庫、2006/10


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