■ スパーエンジニア 島秀雄 『新幹線をつくった男』 (2000.7.24)


スーパーエンジニアの評伝。ノスタルジックな巨人伝説が好きな人におすすめ。収録写真が小さいのが残念。

技術者の評伝には、技術的テーマを中心に据えるものと、人間的エピソードを柱とするものがある。本書は後者か。まえがきは「デコイチ」で始まる。ノスタルジックなプロローグである。著者のスタンスは、豊富な資料を丁寧に展開しようということであろう。

新幹線は、熱血総裁・十河信二と国鉄の技術エリート島安次郎・島秀雄の親子二代が完成させたプロジェクトと言える。

父・島安次郎は、明治・大正の鉄道発達期を支えた指導的技術者。碓氷峠越えのアプト式電気機関車の開発でも知られる。昭和14年、東京−下関間に広軌新幹線を通す「弾丸列車計画」が浮上し特別委員長に選ばれる。このとき設計者として島秀雄が指名された。この計画は戦況の悪化とともに泡沫となる。昭和19年に完成した日本坂トンネルは、後にそのまま新幹線で蘇える。

島秀雄は、昭和25年スタートした湘南電車で、東海道新幹線につながる長距離電車列車の可能性を証明してみせた。昭和26年、車両局長であったが、桜木町事故の責任問題をきっかけに国鉄を辞め民間に転じる。昭和30年、十河信二が国鉄総裁に就いたとき、新幹線建設に命をかける十河は技術分野の全権を持つ技師長として、島を三顧の礼で迎えたのである。

新幹線プロジェクトについて、島は言う。「膨大な情報、技術を有効に組み上げて活用し、目的を達成すること。つまりシステム工学的な発想が必要なのである」。そして関係者の言葉 「東海道新幹線という巨大システムは、島さんの頭脳の中で繰り返しシミュレーションされることによって、熟成されていった」。

昭和39年10月華々しく新幹線の出発式が東京駅で行われた。戦時中の弾丸列車計画が中断を余儀なくされてから20年あまりを経ている。しかし、既に国鉄を離れていたとはいえ、十河と島は招待されなかったのである。十河信二は、前年に建設予算不足の責任をとって国鉄を去り、島秀雄も十河に殉じた。島は、出発式の様子を自宅のテレビで見ていた。そして、ひかり一番列車が通り過ぎるのを、窓越しに"それとなく"見送ったという。この場面には、かつての国鉄のあまりにも狭量な役人根性に涙が出る。

注文がひとつある。各ページの下に写真がレイアウトしてあるのだが、ほんとうに小さい。なかには他の本ではお目にかかれない貴重な写真がある。レギュラーサイズで見たいものだ。


◆『新幹線をつくった男 島秀雄物語』 高橋団吉著、小学館、2000/5


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