■ 『立花隆秘書日記』 「知の巨人」の裏側 (2003.3.29)
Webで一番人気があるのが日記。ボスに仕える女性秘書。しかも、そのボスがあの立花隆とあってはいやでも興味津々だ。著者・佐々木千賀子さんが、立花隆の秘書の職にあったのは1993年5月から1998年末の5年半。500人の応募者から選り抜かれた経緯は本書にも詳しい。そして、何といっても田中角栄
死去の日を活写した文章が印象深い。また、「メカニズム志向」だという分析にも納得する。
田中角栄の死は、1993年12月16日。この日、立花隆は昨夜からのぎっくり腰で動けない状態。午後1時半頃、ある出版社から第一報が入る。その直後から事務所の電話は鳴りっぱなし、受話器を置いたとたんにベルが鳴るというありさま。新聞の取材や各テレビ局からの出演以来が堰を切ったように雪崩込んできた。
事務所の3階で、急遽マスコミを集めて合同記者会見を行うことになった。会見に臨む立花は、全身の神経が一点に向かって緊張し、目にはぎらっとした輝きが宿っていた。会見は2時間以上続く。ようやく終ったのは午後十時近くになってから。嵐のような記者会見だった。立花は疲れた様子もなく、呆然としているスタッフに冗談を言った。
「もう、大丈夫。角栄はそう何度も死なないから」
「文藝春秋」への田中角栄追悼文は、その夜に書き上げたのだが、翌朝になると、「最初から書きなおす」と。これは異例のことで、立花隆は原稿を書きなおすことは滅多にないという。没になった原稿には、どういうことが書かれているのだろう。おそるおそるページを繰ってみて、納得したという。それは、立花隆が書いたとは思えない文章だったのだ。…………、文章が情緒的で、文学的な傾向を帯びていた。長年の宿敵の死は、つねに冷静な立花隆を冷静でいられないほどの強く重いインパクトを与えた。
立花隆はメカニズム志向だという。不思議な現象のメカニズムを解きたい、知りたいという個人的な興味に動かされていたと。田中角栄研究にしても、脳死問題がそうであったように。「メカニズムの解明」、それが仕事に取り組む大きなモティベーションだったのだ。精力的に資料を集めて、わかりにくい事柄を解き明かしていくそのプロセスはスリリングで面白いのだけれど、その結果に力点が置かれない。ある程度自分なりにメカニズムがわかると、憑き物が落ちたように急激に興味を失う。子どもが古い玩具に興味をなくすかのようだと。
◆『立花隆秘書日記』 佐々木千賀子著、ポプラ社、2003/3
◆佐々木千賀子 (ささき・ちかこ) 大阪府生まれ。テレビ番組構成、コピーライターを経て、1988年、小松左京、1993年、立花隆、両氏の秘書につく。1999年より、スタジオジブリにて宮崎駿監督の指導のもとにアニメーション映画の企画、原作探しに携わる。2003年沖縄へ移住。株式会社沖縄映像センター勤務、プロデューサーとしてドキュメンタリー等の制作、執筆活動に取り組んでいる。
いかにも露骨なタイトルであるが、近年の学生の質の低下は著しいという。大学における学力低下問題の起源は、直接的には1980年代以後、文部省のとった誤った政策――中等教育における教育内容の切り下げにある。文部省が中等教育をやたらにいじくりまわして、大衆迎合的に教育水準をどんどん切り下げてきたことに原因があるという。
立花隆は「教養」教育を行え、と繰り返し主張する。しからば「教養」とは何か?
「幅広い教養を身につけるために、どんなやり方をとればいいのでしょうか」という学生の質問にはこう答えている。
「どんな分野でも、その世界のわりと簡単な事典を頭からお尻までパ−と読んでだいたい分かれば、おおよそその世界は分かったと思っていいんだよ」。
そして、大学レベルの教養課程で身につけるべき内容としてはこう言っている。
「『日経新聞』の記事を頭からお尻まで全部読んで、そこに書いてあることが全部分かるようになったら、教養が相当身についたといっていい。『日経新聞』のバイオの記事が全部読んで分かれば、生物学の教養はかなりのレベルです。日経は経済だけじゃない。頭は政治だし、お尻は学芸文化欄でどちらも水準が高い。科学欄も、情報関係の記事も水準が高い」
また実践教育として、「調べて、書く 」 ことこそ、教養の基本とする。具体的なアウトプットを出させることが、実践教育で大事なのである。
なぜ「調べて書く」なのかといえば、多くの学生にとって、調べることと書くことがこれからの一生の生活の中で、最も重要とされる知的能力だからである。調べることと書くことは、もっぱら私のようなジャーナリストにだけ必要とされる能力ではなく、現代社会においては、ほとんどあらゆる知的職業において、一生の間必要とされる能力である。ジャーナリストであろうと、官僚であろうと、ビジネスマンであろうと、研究職、法律職、教育職などの知的労働者であろうと、大学を出てからつくたいていの職業生活のかなりの部分が、調べることと書くことに費やされるはずである。近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されているからである。
人を動かし、組織を動かし、社会を動かそうと思うなら、いい文章が書けなければならない。いい文章とは、名文ということではない。うまい文章でなくてもよいが、達意の文章でなければならない。文章を書くということは、何かを伝えたいということである。自分が伝えたいことが、その文章を読む人に伝わらなければ何にもならない。
何かを伝える文章は、まずロジカルでなければならない。しかし、ロジックには内容(コンテンツ)がともなわなければならない。論より証拠なのである。論を立てるほうは、頭の中の作業ですむが、コンテンツのほうは、どこからか材料を調べて持ってこなければならない。いいコンテンツに必要なのは材料となるファクトであり、情報である。そこでどうしても調べるという作業が必要になってくる。
(『二十歳のころ』のはしがき)
◆ 『東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論』 立花隆著、文藝春秋、2001/10
(文春文庫、2004/3)
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