「脳はわがままだ」と著者は言う。「脳は自分の都合のよいように世界を脳内に再構成するので、自分のわかるようにしか、世界をわかることはできない」と。本書は軽妙な科学エッセイ風であるが、内容は濃い。刺激的な知見を得ることができる。脳におけるワーキングメモリの働きを著者は述べる。そして、脳の発達をダーウィン的発想でとらえ、幼児期の教育が重要だという。
脳の中で最も働いているのは、「ワーキングメモリ」だと主張する。ワーキングメモリは、「行動や決断に必要な様々な情報を一時的に保持しつつ組み合わせ、行動や決断を導く認知機能」だと考えられる。簡単にいえば「作業をするための記憶」。色々な情報を保持しながら作業して、その状況に相応しい答えを出す働き。思考や知性の基礎となっている。例えば、暗算ではいくつかの数字と演算子(+や×など)を意識に保持しつつ処理して答えを出す。この時に働くのがワーキングメモリ。
ワーキングメモリをもつ動物は、高等霊長類(真猿類)の仲間に限られるという。ヒトもその一種。なぜ真猿類にワーキングメモリが働くようになったのか。著者の見解は、「社会関係と採食活動をうまく営むため」だという。真猿類の大部分は昼行性で社会をつくり、果実を主食としている。そこでは視覚情報や聴覚情報が重要。そして、他固体や果実などの位置や形、動きなどの情報のためにワーキングメモリを働かせることは、社会関係と採食行動を営む上で大切になってくる。
ダーウィンの自然選択の本質は、「色々な遺伝的変異をもつ多数の個体の中から、環境により適した少数の個体が選ばれ、次世代に子孫――遺伝子――を残す」ということ。余分につくっておいた多数の神経回路から、環境に応じて適したものを選ぶということで、脳は成長するという。つまり、生まれて間もない頃の脳は大きな可能性(無駄)をもっており、多様な神経回路がある。それが環境要因によって「刈り込まれる」という形で、適応的な神経回路が形成されるのだ。
脳には1000億個以上のニューロンがある。ヒトを含めた霊長類では、誕生する前後にニューロンは大量に死滅してしまう。生後に起こるニューロンの大量死は、学習・経験にに欠かせないものなのだという。赤ん坊にとって、日々が新しい学習・経験である。しかもどういう環境に生まれるか、どんな学習・経験が必要となるかは、生まれるまでわからない。だから、ニューロンとその回路を大量に余分につくっておいて、生後の環境に応じて、学習・経験を通して適当なものを「選択」するのである。赤ん坊はこの世界で生きてゆくのに適当な脳を獲得・発達させてゆくのだ。
どんな神経回路も幼少期に急速に発達し、その基本骨格がつくられる。環境要因に応じて神経回路が選ばれ、発達する。「幼少期にその環境に適した基本的神経回路をつくっておいた方が適応的なため」だ。いろいろな脳機能の臨界期は、幼少期に集中している。言語の臨界期も、生後8歳ぐらいまで。知能や運動能力を含めた様々な能力は結局は脳の力、「脳力」である。多くのデータを踏まえれば、基本的な脳力を育むには若い頃――とくに8歳頃までの幼少期――が勝負だ。
◆ 『わがままな脳 The Selfish Brain』 澤口俊之著、筑摩書房、2000/3
◆澤口俊之 (さわぐち・としゆき) 1959年生まれ。北海道大学理学部生物学科卒業。京都大学大学院理学研究科修了。北海道大学医学研究科脳科学専攻機能分子学分野教授。
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