■ 『フォッサマグナ 』 日本列島を分断する巨大地溝 (2024-11-15)
「フォッサマグナ」という、この言葉を初めて聞いたのは、NHKのテレビ番組『ブラタモリ』だったか。地質学上のなにか学術用語かなと感じたのだが。このブルーバックスを読んだ後、日本列島では、フォッサマグナだけでなく、地質上の災害リスクをあらゆる地域が抱えていることがわかった。
「フォッサマグナ」とは、本州中央部の火山が南北に並んで本州を横断している細長い地帯のこと。地下6000メートルを超える溝である。この溝を覆い隠すように堆積物が積み重なったのが現在の中部日本。日本列島はこのフォッサマグナ地域を境にして地質的に分断されている。この怪物的な地形は、それ自体がさまざまな地殻変動を起こしてきた。長きに渡って火山活動を繰り返してきた。そこには活火山である富士山がすっぽり入っている。
「フォッサマグナ」は、明治期のいわゆる「お雇い教授」であった、ドイツ人地質学者ナウマン(*)が発見した。平沢で行った学生との地質調査で、平坦な台地からいきなり2000メートル級もの落差のある山々が壁のように立っているのを見たとき、なぜこのような大きな溝のような構造ができるのかと疑問を感じた。ドイツに帰国したナウマンは日本の地質について論文を出版(1885年)し、この特異な地形を「フォッサマグナ」と呼んだ。ラテン語で「大きな低地帯」だ。フォッサ=地溝、マグナ=大きな、を意味する。
(*) エドムント・ナウマンはザクセン生まれ(1854年)のドイツ人。「日本地質学の父」と言われる。
1875年に来日、1877年には東京大学創設とともに理学部地質および採鉱冶金学科の教授になった(22歳)。
1879年東大を辞し地質調査研究所を設立、日本列島の地質図の作成に乗り出す。1885年、北海道を除く日本すべての地質図を完成。
1885年、10年の任期を終えてドイツに帰国
日本列島は東西にまっすぐに「中央構造線」が走っている。日本列島の地質を、南(太平洋側)と北(日本海側)に二分する断層だ。一方、フォッサマグマは、中央構造線を、ちょうど「八」の字の形で分断している。分断の折り目にフォッサマグナマが存在する位置関係である。フォッサマグナは、南北2つに分離できる。日本列島を縦断するようである。北部の境界は、糸静線(たての日本構造線)として明確であるが、南部ははっきりしない。はっきりと境界となる断層は見つかっていない。南部と北部でまったく地形や地質が違う。成因がまったく異なるのだ。北部フォッサマグナがその場で形成されたものであるのに対して、南部フォッサマグナは他の場所から移動してきたもののようである。
北部フォッサマグナは、この地域に徐々に海ができていって、陸が海になり、さらに深海になった。その後に、少しずつ浅くなって湖になり陸になっていった変遷があっただろう。一方、南部フォッサマグナは、中央に富士山があり、北側には御坂山地が関東山地へと続いている。反対側は丹沢山地が東西に延びている。南には天城山などの火山を有する伊豆半島。このように南部フォッサマグナは伊豆・小笠原孤の火山列が本州に接している地帯だ。
南部フォッサマグナの形成過程は、プレートテクトニクスによってかなり説明できる。伊豆・小笠原孤はかつて本州より遠く離れたフィリピン海プレートの海底岩盤にあった。このプレートが伊豆・小笠原孤を載せたまま、年4センチの速度で北上し本州に衝突したのだ。フォッサマグはどうしてできたのだろう?
この謎ももとをただせば日本海の形成史に行き着く、日本列島は2千万年前にはアジア大陸の遠縁に位置していた。少しずつ大陸から分離して、現在の場所に移動してきた。拡大が終わったのは1千500万年頃だ。
日本海形成にはいろいろな説が提唱されている。ひとつは、日本列島の移動を古地磁気の研究から提唱したものだ。東北日本と西南日本がそれぞれ反対向きに回転しながら南東に移動したためにその背後に広がって日本海が形成されたという。「観音開き説」という。
中央構造線がフォッサマグナを境に八の字を書いたように曲がっている。これは、日本列島が日本海の拡大によって現在の位置についたときに、ちょうど伊豆・小笠原孤が本州に衝突したからなのだ。フォッサマグナの形成は、北部では大地を削り、南部では大地を足すというまったく逆の現象がきわめて大規模にかつ1千500万年前というほとんど同時期に同じ場所で起きたことによるのだ。
<日本列島を取り巻くプレート> <中央構造線>
<日本列島の誕生-回転>
◆『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』 藤岡換太郎、ブルーバックス、2018/8
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