■ 『癌細胞はこう語った』 吉田肉腫から国語改革へ (2008.10.6)



元NHKディレクター吉田直哉さんの訃報を聞いた(2008.9.30)。かつての大河ドラマ、「太閤記」「源義経」などの演出を担当したという。ちなみに「太閤記」は1965年の放送。主演は緒形拳、織田信長は高橋幸治、石田三成を石坂浩二。「源義経」は1966年。源義経を尾上菊之助、緒形拳が弁慶役だった。

吉田直哉の父・富三の存在を思い起こす。吉田富三は癌研究所の所長を歴任。文化勲章受賞者でもある。著書『癌細胞はこう語った』はその生涯を描いたものである。吉田富三は、特定の化学物質による人口内臓癌の発生を、世界ではじめて確認したことで知られる。そして何より「吉田肉腫」の発見が有名である。

吉田富三は戦時中に、アゾ色素投与中のラットに腹水肉腫を発見。「長崎系腹水肉腫」と命名(後に吉田肉腫と改名された)。以後この肉腫の累代移植とその研究に全力をそそぐ。戦後、全く新しい液状癌としてその名が伝わり、世界中にその株が分けられ各国で移植されて、癌研究に多大の貢献をすることになる。

観察に便利で、移植する部位によってさまざまなかたちの癌をつくる、実験にうってつけの株が確保できたからこそ、さまざまな仮説を検証できる。抗がん剤の開発などにつながるわけだ

吉田富三は後年、国語改革へ取り組み情熱をそそぐ。とりわけ漢字追放に絶対反対の立場をとった。イギリスの言語学者ドーア教授の言葉を引いている。「漢字といふ素晴らしい造語力をもつた表意文字が全国民の共有となつてゐる事は日本の絶大な利点である」と。

この元ネタは、実は息子の直哉が「明治百年」という番組の取材で、当時まだ43歳の新鋭社会学者・ドーア教授をたずねたときのインタビューにある。彼はこう言っている、「日本が明治になって驚異的なスピードで西欧の科学知識と技術を吸収できた秘密の一つは、漢字の存在ですよ。たとえば、地質形象学という言葉を日本人が聞きますね、ほとんどの日本人は、それがどんな学問か、聞いただけで想像することができます。どんな技術用語でも漢字で翻訳できたから、あれだけ急速な吸収ができたのです」と。
鈴木孝夫さんの顔も浮かんで来ますが……。

◆『癌細胞はこう語った 私伝・吉田富三』 吉田直哉、文春文庫、1995/2、単行本・平成4(1992)年/11

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