■ 『インベンション』 ダイソン創業者のことば 「僕は未来を創意する」 (2022.8.9)
「ダイソン」と言えば、今や「サイクロン掃除機」の代名詞である・本書は、その創業者/エンジニアである、ジェームズ・ダイソンの著作だ。
独自の発想でものを創り、製品を開発してきた人生を語っている。
若者たちにエンジニアになって、現在・未来に抱える問題への解決策を創り出すために、行動しようと呼びかけている。
(シートラック)
(ボールバロー)
ダイソンは掃除機だけでなく、多くのユニークな製品開発に挑戦してきた。シートラックとかボールバローなど、ついには電気自動車(EV)まで幅広い。
シートラックはローコストのモジュール式作業船だ。浅水域を安全に航行可能。幅広のサイズで、工具やケーブルから銃や弾薬まで山ほどの装備を運ぶことができる。
ボールバローは脚にプラスチックのボールを採用した作業用手押し車だ。脚が地面にめり込むことなく、思い通りの方向に進める。EVにも取り組んだ。自前開発の高性能電気モーターや効率的バッテリーを採用していた。最高のEVを開発したと自負していたのだが、残念ながらこのEVプロジェクトは、コストなどの問題から中断のやむなきに至った。
ダイソンは、エンジニアとしての教育は受けていない。RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)時代の後半に、本当にやりたいのは製造業(ものづくり)だという決意が固まったという。独創的でまったく新しい製品をデザインして作って売りたいという思いが強かった。息子(ジェイク・ダイソン)の言葉を引用しよう ――「進みながら学べ」が、父が生涯を通して実践し続けた原則だ。
サイクロン掃除機の開発にはとくに苦労した。プロトタイプ数千個を作り4年をかけてテストを続け、サイクロン技術について多くの知識を得た。顕微鏡でなければ見えないような小さな粒子をとらえるため、サイクロンの能力を上げる方法を探究したのだ。1982年後半には完全に作動するプロトタイプが完成。ようやくサイクロン掃除機の発明(インベンション)に成功したのだ。「失敗にこそ答がある」との覚悟で、来る日も来る日も借金に追われながら、気流から効率よくホコリを集塵・分離するサイクロンの開発に邁進した結果である。
開発には成功したものの、製品化への道のりは遠かった。このダイソンのサイクロン掃除機の革新性をみとめ、製品第1号の販売へと導いたのは、エイベックスという日本の小さな企業であった。英国のシステム手帳ファイロファックスを輸入していた。サイクロン掃除機の写真をみて、ぜひ会いに来てほしいとオファーを出したのだ。
エイベックスのサイクロン掃除機へのアプローチが新鮮だった。この掃除機がすごく気に入り、部品の出来や他と違う掃除機であることを賞賛してくれた。掃除機を分解し研究し理解した。技術、ものづくり、技術が創り出すものに対する愛があった。
クリーナーヘッドなどを改良し、髪の毛や細いカーペットのクズをとらえる隔壁を追加した。シルバー精工で製造が始まった。エイベックスはこの製品に「Gフォース」という名前をつけ、1986年に25万円で発売!あっという間に日本におけるステータスシンボルとなり人気製品になった。製造は1998年まで続いた。
1993年 工場ラインでのダイソンの名を冠した初の製造品質の掃除機の生産が始まった。大きな取引へと成長する。DC01はベストセラーとなる。英国掃除機市場のダイソン製品のシェアは20%になっていた。ダイソン社を掃除機の会社で終わらせるつもりはまったくなかった。エアマルチプライアー(扇風機)を開発した。空気の動きの再発明だった。
◆ 『インベンション 僕は未来を創意する』 ジェームズ・ダイソン、川上純子訳、日経BP、2022/5
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