■ 『感染症と文明』 ――共生への道  (2020.7.16)






新型コロナ・ウィルスが世界各地に拡散し猛威を振るっている。各国が感染防止に躍起になっている。対策に妙手はあるのだろうか?
著者・山本太郎教授は言う。ウィルスは宿主の存在なしには生存できない病原体。宿主に病気を起こすことは自らの生存のためには不利となる。そのため最終的には、ウィルスは宿主と安定した関係を築いていくことになる。根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だと。共生なくして人類の未来はないだろう。



大規模な麻疹(はしか)の流行は地上から姿を消した。地球のすべての人が、集団としての免疫を獲得したからにほかならない。感染症が社会に定着するためには最低でも数十万規模の人口が必要である。それ以下の人口集団では、感染は単発的なものにとどまり、恒常的に流行することはない。数十万という人口規模をもつ社会は、農耕が始まることによって初めて地上に出現した。

農耕は収穫量の増大によって土地の人口支持力を高め、定住という新たな生活様式を生み出した。それと同時期に野生動物の家畜化がある。農耕定住社会への本格的移行は文明を育む一方で私たち人類に多くの試練をもたらすことになった。その一つが感染症だ。農耕によって生み出され貯蔵された余剰食物はネズミなどの格好の餌となった。ネズミはノミやダニを通して感染症をヒト社会に持ち込んだ。野生動物の家畜化は動物起源のウィルス感染症をヒト社会に持ち込んだ。

感染症と文明のつながりを考えてみよう。
@文明が「感染症のゆりかご」として機能した。メソポタミアに代表される文明は人口増加を通して麻疹や天然痘、百日咳に流行の土壌を提供した。結果としてこれらの感染症はヒト社会に定着することに成功する。
A文明の中で育まれた「感染症」は生物学的障壁として文明を保護する役割をも担う。メソポタミア文明にこの構造の原型がある。
B文明は文明の拡大を通して周辺の感染症を取り込み自ら疾病レパートリーを増大させる。同時に文明の拡大を支援する強力な道具ともなる。中国文明やインダス文明にこの構造の原型をみる。

それぞれの文明がどのような感染症を選択するかは、文明がもつ風土的、生態学的、社会学的制約によって規定される。文明化した疾病常在地としては、中国、インド、西アジア、そして地中海世界が考えられる。それぞれ固有を有する。その一つが中国におけるペストか。シルクロードはユーラシア大陸の各文明がもつ原始疾病の交換を促したといえる。ヨーロッパへ運ばれたペストは人々を恐怖の底にたたき込んだ。14世紀の流行によって亡くなった人は2500万人とも3000万人とも言われる。ヨーロッパの全人口の3分の1〜4分の1に達した。

1918年から19年にかけて世界的に流行した新型インフルエンザ――スペイン風邪と言われる。この流行は世界全体で5000万人とも1億人とも言われる被害をもたらした。もっとも大きな被害を受けたのは、アフリカやインド。流行初期の第一次世界大戦下という状況は、兵士や物資の動員、前線における塹壕や密集した兵舎、植民地における現地人兵士や住民の戦争への関与といった平時とは異なる体制が流行速度の拡大に寄与した。

1921年、米民主党の若き政治家がポリオに倒れた。一命は取り留めたが残りの人生を後遺症と闘った。後の大統領フランクリン・ルーズベルトだ。ポリオの流行は繰り返し起こった。惨禍を救ったのはワクチンだった。40万人以上の子どもたちへのワクチンが接種で安全性と有効性が確認された。ワクチンの開発によるポリオの征圧の成功体験は、その後の医療医学に大きな影響を与えた。

20世紀後半には新しく出現した感染症が社会を脅かした。1976年にスダーンで流行したエボラ出血熱(コウモリが自然宿主と考える研究者もいる)、1980年代のエイズ、SARSなど。SARS(重症急性呼吸器症候群)は2002年11月〜2003/2月、中国南部で肺炎患者発生した。つづいて香港、ベトナム、シンガポールで流行し、いま終息段階にある。

ウィルスのヒトへの適応は4段階が考えられる。
▽第1段階;感染症は家畜や獣から引っかき傷やかみ傷を通して感染するが、ヒトからヒトへの感染は見られない。感染は単発的な発生のみで終息する。
▽第2段階では、ヒトからヒトへの感染が起きる。この段階は初期段階にすぎず、感染効率が低いためやがて流行は終息に向かう。SARSの例はそうか
▽第3段階は適応後期段階とも。ウィルスがヒトへの適応を果たし定期的な流行を引き起こす。エボナ出血熱が代表。
▽適応の第4段階は、ヒトに適応したため、もはやヒトの中でしか存在できない感染症である。エイズや麻疹、根絶計画によって地上から消えた天然痘などはこの段階の感染症。

適応の最終段階は過剰適応段階ともいえる段階である。ヒトという種に過度に適応したため、ヒトを取り巻く環境や生活の変化に、ウィルスが適応できない。医学的・公衆衛生学的介入がなくても、ウィルスはヒト社会から消えていく。ウィルスが消えていくまでに数世代から数十世代という時間が必要な場合があるかもしれない。


◆『感染症と文明 ――共生への道』 山本太郎、岩波新書、2011/6
   山本太郎:1964年生まれ。京都大学医学研究科助教授、外務省国際協力局を経て長崎大学熱帯医学研究所教授

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