■ 『まちがえる脳』 「まちがい」からアイデア創造へ (2024-7-1)
世の中に、脳をかたる神話があふれているという。著者によれば、そのほとんどは正確なデータの裏付けもない怪しい迷信だという。そのひとつが、「脳は10パーセントしか使われていない」というもの。脳は、寝ているときも起きているときも、常に全体が休みなく活動している。何をするかで部分的に活動は変わるが、その変化は全体の活動量からみてほんのわずかである。だからといって休んでいるとは言えない。あくまでも全体の活動と対比して評価しなければいけない。
本書のテーマは、脳の信号伝達メカニズムを明らかにすることだろう。脳が採用している伝達方式は、電子回路のような精密なものではない。そのために、信号伝達で脳はまちがえるという事実がある。人はまちがいやすい――労働災害のほぼ80パーセントが人為的なミス(ヒューマンエラー)により引き起こされているという。まちがいは決して脳の誤動作ではない。脳内の信号伝達が本来、不確かで確率的なのだから、まちがいは不可避なのだ。
ヒトの脳には約1000億のニューロン(神経細胞)がある。800億以上は小脳にある。大脳には100億〜200億のニューロンがあり大脳皮質に集中している。
ニューロンと神経回路の構造は、脊椎動物にほぼ共通である。ニューロンが発する信号を検出しそれが次のニューロンに伝わる。軸索が他のニューロンへ信号を送る役割を果たす。信号を受け取るのが樹状突起である。細胞体1つにつき、樹状突起は多数あり、軸索は1本。接合部分全体をシナプスと呼ぶ。
大脳皮質のニューロンは多くのシナプスをもつのが特徴。1つのニューロンが数千以上のシナプスを持っている。多数のニューロンが複雑につながり緻密な神経回路を形成している。ニューロンが発する信号をスパイク、信号を発することを発火とよぶ。電位の変化を引き起こす物質は、プラスの電荷をもつナトリウムイオンとカリウムイオン。ニューロンが発する信号は短いパルス状の電気信号である。
ニューロンの発火により生じた信号は、軸索上のイオンチャネルの開閉とイオンの移動を次々と繰り返すことで伝わる。その軸索上を伝わる速さは、時速150〜600キロである。電気信号(電子の流れ)は時速10億キロ。速さでは脳はまったく機械にはかなわない。
バトンリレーとでも言うべきニューロン間の信号伝達は、確率的なものだ。受け取ったニューロンが発火する確率は、平均すると30回に1回程度だという。いつ発火するかは予測できずほとんどランダム。ニューロンはサイコロを振るように信号を伝えている。不確実性の所以だ。
脳は不確実な信号伝達をニューロン集団の同期発火で補っている。そのため脳は絶え間なく自発的な同期発火を繰り返している。それが、あるリズムをもつゆらぎとして現れるため、信号伝達のエラーを完全に排除することはできない。まちがいが起きてしまうのは当然のことなのだ。
ゆらぎによって、脳はある確率で意外性のある答えを出すようになっていると言えるだろう。答えの多くはエラーとなるだろうが、なかには斬新なアイデアや発想が出力される可能性もある。たとえほとんどがエラーとなっても、たくさんの多様な答えを出さなければ、斬新なアイデアや発想も出てこないことは明らかだ。
エジソンのことばを聞いてみよう。「わたしは失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまくいかない方法をみつけただけだ」とか「それは失敗じゃなくで、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ」と。必ずまちがい(失敗)が起こる、その多くのまちがいの中から、斬新なアイデア、つまり創造が生まれる。このような脳が創造を生むプロセスは、生物の進化のプロセスそのものではないか。
このように脳の神経回路の構造と機能は共にいいかげんである。言い換えると、神経回路の構造と機能は固定されておらず、柔軟であるとも言える。これは電子回路にはない脳の特性である。この脳の柔軟性が動物が生存するうえできわめて有益であることも分かってきた。それが脳が持つ独特の冗長性、つまり部分的な損傷を受けても影響を受けなかったり、大きな損傷でも回復するという特性である。
◆『まちがえる脳』櫻井芳雄、岩波新書、2023/4
HOME | 読書ノートIndex | ≪≪ 前の読書ノートへ | 次の読書ノートへ ≫≫ |