■ 『音楽紀行』 吉田秀和の原点 (2007.7.7)
このところ、先頃のテレビ番組「言葉で奏でる音楽 吉田秀和の軌跡」の放射熱を浴びたままで、いまだ冷めていない。手元の文庫本『音楽紀行』に思わず手が伸びる。この本は、吉田秀和が1953年から翌年にかけて、外国に出かけた時の旅行記である。もっぱら音楽を聴いたその感激を綴ったもの。
はじめての外国というから、吉田秀和のもう一つの原点であることは間違いないだろう。テレビ番組の中でも言及していたが。密度の濃い旅行記である。この機会を逃したらもう西洋音楽に触れることはないのではとばかりに、精力的に音楽会を聴きまわっている。
《ドン・ジョヴァンニ》は5回――メトロポリタン、パリ、ザルツブルグ、ミュンヘン、ベルリン――もきいている。大岡昇平は、この様子を「音楽坊主」と命名したそうだ。美術の話題もある。フェルメールの絵が好きになったとのこと。《デルフトの眺望》では、光と空気が気持ちよく通っている感じがすると言っている。
ニューヨークでストラヴィンスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮する機会に遭遇する。この演奏会の描写は、本書の中でもっとも冷徹な表現ではないか。あの「ひびわれた骨董」にも通じるように思う。こんな様子だ。
……ストラヴィンスキーは、”バレーの情景”と”ペトルーシュカ”組曲をふった。小柄の痩せた身体の上に大きな顔がのっかり、大きな眼鏡を大きな鼻の上にのせた男がちょこちょことステージのわきから歩いて来た時にはどきっとした。彼は奇妙に軽い急ぎ足で、それこそまるで爪先だって小刻みにちょろちょろと走るみたいに歩く。指揮台に上る時も下る時もぴょんとはねる。それは何かを思い出させる。何か小さな獣――たとえば、猫、または栗鼠みたいなものの姿を。そうして、その中には一種の鋭さと羞恥と洗練とを道化た格好で、茶化し、隠してしまおうとするようなものが感じられる。
当時ストラヴィンスキーは62歳だった。彼の丁寧に聴衆にお辞儀をする様を、全く儀礼的で、冷静さと几帳面さがあるといって、「まるでスボンのきっちりした折り目のように現れている」と。
◆『音楽紀行』吉田秀和、中公文庫、1993/4 (原著は新潮社から1957年に刊行された)
■ 『考える人』 吉田秀和ロングインタビュー (2007.7.7)
新潮社の季刊誌『考える人』の2007年夏号 特集:クラシック音楽と本さえあれば
吉田秀和ロングインタビュー(聞き手:堀江敏幸)が、冒頭12ページを費やして掲載されている。先にNHK教育テレビで放映された、「言葉で奏でる音楽――吉田秀和の軌跡」(07.7.1)は、この対談の一部を抜き出したものとのこと。
インタビューアとして堀江さんは最適ではなかったか。敬愛あふれる問いかけの数々が吉田秀和の思いを引き出して、素晴らしいインタビューとなっている。テレビの画面からは、さらに気持ちのよい陽光が降りそそぐなか薫風まで伝わってくる。
NHK-FMの「名曲のたのしみ」は1971年に始まったそうだ。すでに、30数年も続いている!
堀江さんは、吉田さんの歯切れのいい、やさしい語り口に魅了されたという。吉田秀和は、放送に際しても考えを凝らしたようである。ラジオにはだれもやってないことをやるという楽しみがある、文章にリズムを与える修練になるという利点があると。「名曲の楽しみ」では、話し言葉のリズムの発見をやっているのだと言う。
例えば、放送では、いつも冒頭に「名曲のたのしみ。吉田秀和」と言うだけで、「です」とも何とも言わない。あそこに行くまでには少し苦労してね、初めは何か言っていたんですよ、と。
はじめての翻訳の仕事。自分のスタイルの中に、外国語の文脈も入れるようにしたという。その方が音楽の実態に即しているような気がしたと。「である」とか「だ」とかという日本語の言葉の終わり方の単調さを壊すのに、音楽的な「転調」あるいは「反行」「転回」、つまりひっくり返したり、ちがう文脈のものを入れてきて変化を加えたり、そういうことをやるのがとても楽しみだったと。
■ 言葉で奏でる音楽 吉田秀和の軌跡 (2007.7.1)
日曜日の夜、3チャンネルのETV特集は、「言葉で奏でる音楽 吉田秀和の軌跡」と題する番組であった。2時間の長きにわたったが、なにか力強い知的活力の放射を受けた感があった。鎌倉での暮らしぶりは、かの『徒然草』の兼好法師はかくありしか、と思わせる。録画したビデオ・テープをもう1回見てみよう(2007.7.1)。
吉田秀和は、もう93歳だ。しかしテレビ画面で拝見するとお元気でかくしゃくとしている。話す様子もいつもの自在な語り口。リズムがある。由比ヶ浜を散歩する様子が出てきたが、歩きぶりもしっかりしている。4年前にバーバラ夫人を亡くしたあとは、原稿を書く気も起きなかったそうだ。NHK-FMの放送は続けたのだが。この頃は、以前とは比べでずっと量は少なくなったが、原稿を書くのを続けているという。
執筆の現場をテレビカメラが撮影している。丹念に楽譜を切り貼りし原稿用紙にのりを延ばして貼り付けている。藝術は手仕事だということらしい。原稿も万年筆で一字一句を埋めていく。考えながら書くことが好きだという。書く前にずいぶん考えるそうだ。頭の中で準備する。そして何回も清書し、そのたびに言葉づかいの細かいところを直す。
批評とは、自分が聞いたことを正確に伝えること。そこで、ぴたっとあてはまる言葉を見つけたときに快感がある。この人の特徴はどこにあって、急所はここだと一口で言いきること。あの「ひびの入った骨董品」のことだ。批評も面白くないといけない。読んで面白いこと。だって音楽がそうなんだから。
鎌倉に住んで35年だという。日頃の暮らしぶりの紹介があった。しもたやとも言っていい簡素な住まいである。6時に起床し自分で朝食を用意する。卵を半熟にゆで、ドイツパンと紅茶だけのもの。ここ何年もずっと変わらないそうだ。週に何日か、娘さんと鎌倉の町内で買い物をするようだ。商売道具であるオーディオセットもシンプルなものが和室にセッティングしてある。あまり機械にはこらない趣味という。
◆吉田秀和著 『たとえ世界が不条理だったとしても 』 → こちら
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