■ 《リチャード3世》 市村リチャードの悪人ぶりを堪能 (2003.12.30)
シェイクスピアの『リチャード3世』を観てきた(日生劇場、2003.12.24)。演出は蜷川幸雄。翻訳は松岡和子である。再演とのこと、初演は、彩の国さいたま芸術劇場のシェイクスピア・シリーズ第3弾公演、1999年2月。4年ぶりか。主要役柄は、リチャード3世の市村正親、バッキンガム公の瑳川哲朗は変わらず。アンは久世星佳→香寿たつき、マーガレットは楠侑子→松下砂稚子、エリザベスは有馬稲子→夏木マリへと代わっている。
市村リチャードの爽快感さえ感じる悪人ぶりを堪能しました。登場からして、白面のメークアップ、赤いマントが強い印象を与えます。長い台詞も明瞭でしっかりと客席に届きます(口跡が良い、というのでしょうか)。再演の余裕でしょうか、奸計をめぐらし周囲を巻き込むさまが手に取るように伝わります。終幕、遂に斬り殺される場面では共感すら生まれるのです。
夏木マリが良かったですね。彼女の登場で舞台がしまります。王妃としての気品、気高さが自ずから醸し出されます。台詞もしっかり。他の出演者のように、台詞の長さをこれっぽっちも意識させないのは不思議。いかにも翻訳文を喋ってますという感を全く与えません。余裕感があります。天性の舞台人としてのセンスが備わっているのかも。
特に第4幕、リチャードがエリザベスの末娘をイングランドの王妃にするために強引に説得するくだり。エリザベスとリチャードの、火の出るような激しいやり取り。あえて声をつぶすのもいとわない発声にも納得です。そして、ついには王妃にすることを無理矢理に自身を説得するのだが、それを外面には出さない演技が素晴らしい。
演出は幕開き冒頭からショッキングである。いきなり上方からバラバラとものが落下する。馬の死体までも。赤いバラや白いバラは、バラ戦争の象徴でもあるようだ。蜷川演出は《マクベス》に続いての経験だが、舞台が色彩鮮やかである。
休憩前の第3幕。リチャードが市民からの要請によってやむを得ず国王につくのだというポーズをとるシーン。ここで蜷川演出は、観客に、市民としての拍手を要請するのであるが。これでは芝居の緊張感が失われてしまいました。リチャード3世の大芝居、一つの転換点だと思うのです。それとも、たかがリチャードの「見え見えの猿芝居」との演出意図なのだろうか。
◆『快読シェイクスピア』 河合隼雄・松岡和子、新潮文庫、2001/11 (単行本は1999/2刊行)
◆河合隼雄 (かわい・はやお) 1928(昭和3)年兵庫県生まれ。京大理学部卒。京大名誉教授。日本のユング派心理学の第一人者であり、心理療法家。独自の視点から日本の文化や社会、日本人の精神構造を考察し続け、物語世界にも造詣が深い。著書は『こころの処方箋』『昔話と日本人の心』『明恵
夢を生きる』『とりかえばや、男と女』『未来への記憶』など
◆松岡和子 (まつおか・かずこ) 1942(昭和17)年旧満州新京(長春)生まれ。東京女子大英文科卒。東大大学院修士課程修了。翻訳家・演劇評論家。著書に『すべての季節のシェイクスピア』『繪本
シェイクスピア劇場』。1996年からシェイクスピアの劇作品の新訳に取り組んでいる。
松岡和子ホームページは → こちら
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