■『アメリカ歴史の旅』 ぺりーの黒船:ポーハタン号 (2014.7.31)
嘉永6年6月(1853年7月)、ペリーが日本に開国を迫り、アメリカ艦隊を率いて浦賀に姿を現した。艦隊は4隻で、うち旗艦のサスケハナとミシシッピが蒸気外輪船であり、他の2隻は帆船だった。ペリーは大統領からの親書を渡し、翌春の再訪を予告して、10日間ほどの滞在で去った。このとき通詞の役割を担ったのが堀達之助である。→
『黒船』
翌、嘉永7年1月(1854年2月)、ペリーは再び艦隊を率いて来航する。このときの旗艦が蒸気外輪船のポーハタンである。横浜で日米和親条約が調印された。安政5年(1858年)には艦上で日米修好通商条約が調印された。万延元年(1860年)には、日米修好通商条約の批准書交換のため遣米使節がポーハタンで太平洋を渡った。このとき随伴したのが咸臨丸であり、艦長は勝海舟だった。
→『咸臨丸 海を渡る』
ポーハタンは1852年、米国で竣工した。外輪船として最後の大型戦艦。蒸気エンジンの性能・信頼性がまだまだ不十分で帆走を併用するため3本マストを装備している。1853年に勃発したクリミア戦争で外輪式戦艦の弱点が露呈したため、以降、世界的も外輪式戦艦が作られることはなかった。
"ポーハタン"(Powhatan)とは、アメリカ先住民(インディアン)の酋長の名前とのことだ。猿谷要さんの著書『アメリカ歴史の旅』(朝日選書)には、次のようなエピソードが紹介されている。
イギリス人が新大陸アメリカに根拠地ジェームズタウンを作りはじめたのは1607年のこと。入植者は飢えと寒さに苦しむ。窮状を救ったのは、付近に住む友好的なインディアンたちであった。食糧を与えたり、生活の仕方を教えた。
酋長ポーハタンの娘ポカホンタス(Pocahontas)は白人に好奇心をいだいていた。入植地の指導者を捕らえたとき、ポーハタンは彼の首をはねようとしたが、ポカホンタスが身を投げ出してかばい青年指導者の命を救ったことがあった。
彼女が18歳のとき、今度は逆にイギリス人に捕らえられ人質となる。キリスト教に改宗しレベッカという洗礼名を受ける。翌年、ジョン・ロルフという当時29歳の入植者が彼女に求愛した。ロルフはタバコ栽培に成功した有力者。2人は結婚しイギリスに渡る。インディアンの王女レベッカはロンドン社交界の人気を集めるが、天然痘にかかってわずか22歳で急逝してしまう。
彼女の結婚は、インディアンとヨーロッパ人の初期の友好関係の象徴として歴史に1ページを刻んだという。
◆ 『アメリカ歴史の旅 イエスタデイ&トゥデイ』 猿谷要、朝日選書325、1987/3
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